「東大阪とは」

 

東大阪市とは、大阪府中河内地域に位置する市のことを言われています。

中核市に指定されている市で、大阪府内では大阪市及び堺市の両政令指定都市に次ぐ第3位の人口を有しています。

近鉄花園ラグビー場を擁する「ラグビーの町」として、また、技術力の高い中小企業が多数立地する「ものづくりのまち」としても全国に知られていて、それらをアピールする形でまちづくりを行っています。

 

東大阪市の歴史としては、古代には物部氏の本拠地があり、物部守屋の最期の地は衣摺(きずり)であるなど、早くから開けた地域でした。飛鳥時代には、中国大陸への玄関口であった難破津との街道筋にあたり街道筋には多くの集落ができました。そして、奈良時代になると、平城京と難破津を結ぶ街道が整備されて、その街道筋にも多くの集落ができました。

そこから、平安時代、室町時代、江戸時代と、多くの時代で次々と有名になるようになってきました。室町時代では、この付近の地域では大坂夏の陣における若江の戦いの舞台としても知られていて、豊臣方の将木村重成の終焉の地でもあることで知られています。

東大阪市の中央部は長い間、北にある深野池や西にある新開地、そこに注いでいる付け替え前の大和川野ために長らく湿地帯で、東大阪市の市域で早くに開けたのは、確かにこれら大和川の流域と高野海道沿いの地域ではありますが、開発は遅れがちになっていました。

室町時代以降、河内国の行政の中心であった若江城でさえ、四方を沼地に囲まれた難破不落の平城として記録されています。

東大阪市の人口は平成22年(2010年)国勢調査より、前回の調査からの人口増減をみてみると、0.83%減少していて、人口は509533人でした。増減率は府下43市町村の中で26位、72行政区域中45位で、真ん中よりも少し下の方の順位になっていました。

このように、東大阪市には多くの呼び名や、多くの歴史についての内容がありました。

東大阪に住んでいる人もわからなかったこともあるのではないでしょうか。